投稿者:歴史研究部会主査 木村智哉
平素は大変お世話になっております。下記の通り歴史研究部会の研究会を開催いたします。非学会員の方でもご参加いただけます。なお、資料作成と会場設営の都合上、ご参加の方は2月末日までに以下のメールアドレスまで、ご氏名、ご所属、会員・非会員の別を書き添えてお申し込みください。皆様のご参加をお待ち申し上げております。
参加申込先:kimura_t1980@yahoo.co.jp(@を小文字に変えてご送信ください)
記
<開催概要>
日時:2019年3月2日(土)15時00分~17時40分
会場:専修大学 神田校舎7号館8階 783教室
https://www.senshu-u.ac.jp/about/campus/
<タイムスケジュール>
15時00分 開会
15時05分~15時50分 発表①(臼井直也氏)
15時50分~16時35分 発表②(たつざわ氏)
16時45分~17時00分 コメント(萩原由加里氏)
17時00分~17時40分 質疑応答
17時45分 閉会
<発表概要>
発表①大藤信郎『竹取物語』の史料分析(仮)
本発表は、国産アニメーションの礎を築いた一人であり、日本におけるアニメーション海外発信の第一人者でもある大藤信郎(1900-1961)が最晩年に制作しながらも未完に終わった『竹取物語』を中心に、台本、セルや原画などの一次史料の制作技法および内容の分析を行ったものである。制作技法分析に関しては、千代紙の使用方法の分析を、内容分析に関しては、大藤が作成した3種の『竹取物語』の台本、その台本に含まれているギャグや流行歌、そして絵コンテにあたる「作画撮影台本」の分析結果をまとめたのち、実際の制作がどの程度進んでいたかを確認する。最後に、国内の大藤研究が現在どこまで進み、まだどのような課題が残されているかを参加者と共有したい。
〇報告者:臼井直也(アニメーション史研究家、デジタルハリウッド大学講師)
大藤信郎関連の研究に、「大藤信郎が日本アニメーションの海外への初期発信に果たした役割―1950,60年代の海外映画祭およびアニメーション機関との書簡分析から―」「大藤信郎アニメーションの海外映画祭への発信及び現地評価に関する調査研究―海外映画祭を中心としたネットワークが大藤作品の受容および評価に果たした役割に関する一考察―」がある。
発表②1930年代後半における日本のアニメーションの産業化
本報告では、1930年代後半の映画雑誌を検討することで、当時のアニメーション製作の状況を明らかにする。先行研究では、日本のアニメーションの製作について(1)1930年代には分業化されておらず、おもな販路は収益性の低い教育現場であり産業とは程遠かったこと、(2)日中戦争によってニュース映画館(ニュースに限らず短編映画を上映する)が活況を呈し、外国映画の輸入規制が実施されても、日本のアニメーションはそれに対応できず、産業とは程遠い状況は変わらなかったこと、(3)太平洋戦争期に国策プロパガンダ作品の製作で一時的に産業化したものの、その体制は終戦によって崩壊したこと――が主張されている。しかし、『映画国策』などの雑誌を調査したところ、1930年代後半に小会社が映画館向けのアニメーションを比較的活発に製作していたことが分かった。そこでは、分業が行われており、日中戦争期にはプロパガンダと結び付き時代に対応していた。このことは、日本のアニメーションは、太平洋戦争期の国策によって突然産業化したわけではなく、1930年代後半において、すでにそのきざしが見られることを示すものである。
〇報告者:たつざわ(無所属、日本アニメーション史研究)
2012年末からアニメ評論同人誌『アニバタ』の編集・発行を始める。2017年が日本アニメ100周年ということで、2017年末からその歴史に興味を持ち、2018年5月に私家版『芦田漫画映画製作所の通史的な解明』を発行する。特に1930~1955年のスタジオ史に興味があり、現在、同時代資料を収集中。
コメンテーター:萩原由加里(帝京大学文学部日本文化学科講師)
司会:木村智哉(玉川大学芸術学部メディア・デザイン学科非常勤講師)
以上